ワイが太陽光発電でセミリタイア生活を実現した方法とは

セミリタイア・アーリーリタイアのイメージセミリタイア
セミリタイアのイメージ(出所:Office of Employee Relations, New York State)
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今日は「勤労感謝の日」。

ということで、当方が勤め人だった頃を振り返りつつ、脱サラ(卒サラ)してセミリタイアするに至った経緯や現状など、ざっくばらんに書いてみたい。

端的には、当方ブログの自己紹介のページに書いてあることがほぼ全てなのだが、サラリーマン生活の傍ら太陽光発電事業を始めたこと、勤め先が解散に至った事情、家内との関係がどう変化してきたか等々、掘り下げてみよう。

必ずしも早期リタイアしたい訳じゃないが…太陽光発電を開始

筆者がセミリタイアするための必要資金というか、収入を得る上で欠かせなかった太陽光発電。

思えば10年も前の話になるのだが、元々セミリタイアしたいとか、それほど深く考えてはいなかった。

むしろ、環境に優しいエネルギーがやはり必要だよね、自分でも発電したいね、という気持ちが強かったのは確かである。

もし一戸建ての家で暮らしていれば、自宅の屋根上に太陽光パネルを載せていたことは間違いないのだが、生憎都会の団地住まいでは叶わぬ夢だった。

そんな中、国・経済産業省による固定価格買取制度(FIT)の全量買取が施行開始されたことを知り、「屋根上がダメなら野立てで」とその波にかなり早い内から乗ることができたのは幸運だったと今でも思う。

セミリタイアしている方の中には詳らかに資産を公開している方もおられるようだが、筆者としてはプライバシー等も考慮するとあまり細かい数字まで露出させるのは本意ではない。

ただ、36円/kWhや32円/kWhという買取価格(+消費税)で発電事業を営んでいるお陰で、お天気任せながらも比較的安定した収入を得つつ、セミリタイア生活を実現できていることは確かだ。

サラリーマン生活の傍ら、岡山県備前市でまず1基目を作り売電を開始したのが2014年の春。
その後、とある方から岡山県笠岡市の案件を紹介され、2基目を入手したのが翌2015年の春。

この時点ではまだ太陽光発電についての知識が乏しく、いろいろと失敗も多いのである。
もちろん、セミリタイアやアーリーリタイア、なんてこともまだ全然考えてなかった。

サラリーマンの収入を太陽光発電の事業収入が初めて上回ったのは、4基目位からだったと思うが、その頃から多少は会社員の生活から卒業することを意識し始めたように思う。

サラリーマンの副業として、太陽光発電事業はかなり適している。

草刈りとか除草剤散布といった作業は土日祝日に出来るし、週日の日中に自分が会社で働いている間に発電所もほったらかしで勝手に仕事して稼いでくれる。

ただ、日本ではまだ兼業規定とか他人の目が気になる等、いろいろとあるのでカミングアウトするのが憚られる方も多いだろうし、自分も会社を退職するまでは一切公言しなかった。

勤務先が解散、一年後に再就職を断念しセミリタイアを決断

筆者の勤務先が解散となったのは2020年3月末である。

それに先立つ2019年11月、社長が十数名の全社員を対象として会議を招集し会社が解散となることを告知した。それ以降、3~4ヵ月に渡って残務整理や関連会社との引継ぎを粛々と行った。

なぜ会社が解散することになったのかというと、一口で言えば親会社の意向である。

その会社は某総合商社と某マスメディア系列の出版社との合弁子会社で、社長は51%の資本を出していた商社から、副社長は出版社からそれぞれ派遣されていた。もちろん取締役会の役員も半々であった。

解散が決まる数年位前から経営状況はかなり厳しさを増し、黒字を維持するのも年々困難となりつつあった。その結果、その商社が主導でその子会社を解散させることを決定したのである。

両社とも一般には大企業もしくは著名な企業であり、その合弁子会社が解散したところで大して影響はない。

元々、出版社の方は刊行物の部数が年々減り続けるなか、マスメディア以外の新規事業を創出する必要があった。

その子会社がその支援をするといった役割を持っていた部分は大きかったのだが、相応の年月を経てそういったノウハウや稼ぎ方がその出版社の方にも蓄積されたため、子会社としての役割をまっとうしたということもある。

会社の解散が決まった後、社員に対してはまずそれぞれのグループ企業への再就職支援が実施され、30代~40代でまだリタイヤするにも早すぎる大半の社員は、それぞれ自分のスキルや職歴、適正に応じて斡旋されていた職場へと再就職を決めていった。

筆者はと言えば、当初の計画通り発電所をほぼ全部立ち上げ終わったこともあって(注:最後の7号基は会社解散の1~2ヵ月後に連系、売電開始)、貯金や太陽光による売電収入のお陰で経済的な不安が当面なかったこと、自身であまり気の進まない再就職先を望まなかったこと等から、各グループ企業での再就職をほとんど考慮しなかった。

とはいえ家内の手前もあったので一応、派遣大手・P社の支援の下で再就職先をグループ外で探してはみた。

だが年齢的な制約もあり、1年経っても筆者が希望するような仕事は結局見つからず、再就職活動を打ち切ってセミリタイアに舵を切ったのである。

家内も筆者のセミリタイア生活を容認へ

家内は筆者がサラリーマンであることを極めて強く希望していた。

太陽光発電を開始した頃は、収入が増えるという意味では恐らく反対するほどでも無かったのだろうが、2基目、3基目と増やし始めると

あなた、太陽光発電所を何個作るつもり?

と語気を荒めて筆者に詰め寄ったこともあった。

恐らく、借金を増やすことに抵抗を感じていたからだと思う(ただ、結論から言えば、借金して太陽光発電所を作ったのは最初の1基目だけ、残りはすべて自己資金で賄っている)。

しかし、筆者が勤務先の解散後に再就職を試みても決まらなかったのを見ると、遂に諦めたようである。

ちなみに、会社の解散については当初、彼女に切り出すことが出来なかった。

筆者に落ち度はほぼ無かったとはいえ、「安定した」サラリーマン稼業を終わらせることになったと言うと怒られそうで、それが怖かったのである。

という訳で、2020年の4月からしばらくの間、会社に通うフリをして自宅を出て図書館やネットカフェ、ファーストフード店で時間を潰す日々が続いた。実際のところ、これは結構辛かった。

おりしも、新型コロナの感染拡大のため図書館が閉館していたりで、営業しているネットカフェを探すのにも一苦労だった。

テレビドラマ等で主人公のオジサンが失業し公園で暇を潰し…といったシーンを見たことがあったと思うが、まさか自分がそれと似たような行動を取るとは思ってもいなかった(苦笑)。

しかし、筆者のそんな「猿芝居」も長くは続かない。

5月に入ってからある日の朝、いつも通り仕事に出かけるフリで身支度していると、家内から

会社、無くなったんでしょ?

と切り出されたのである。

4月に入ってからも直ぐにバレてはいなかったのだが、やはり気配とか仕草とか、色々な面で何かオカシイという「匂い」がしていたのだろう。

家内は元々勘が鋭いということもあり、筆者の猿芝居を見破るなど造作もないことだったのかもしれない。

(なお「嫁ブロック」については、また別の記事としてまとめてみようと思っている。)

終わりに:セミリタイア生活と今後の展望

現在、家内は筆者のセミリタイア生活を横目で見つつ、自身は派遣社員として働いている。(将来の生活不安から、働ける内は働くつもりらしい。)

以上、当方が太陽光発電でセミリタイヤを達成するに至った背景や経緯を認めてみた。

FITによる売電事業には期限があるので、今後はFITが終了し目減りしていく太陽光発電の収益を補えるよう、収入の柱を他の事業や投資で増やしていきたいと考えている。また、家賃もバカにならないこの団地から、どこか環境の良い地域の一戸建て住宅にできればなるべく早く引っ越したい。

現時点ではFITの買取価格が下落していたり、そもそもFIT制度が終了していたりで再現性が低いため、筆者と同様の方法でのセミリタイアや早期リタイアは実現困難かもしれない。

ただ、電力取引市場での価格が高騰したために、フィードイン・プレミアム(FIP)でも採算事業として成立する事例も出てくるなど太陽光発電にもまだ可能性はあるし、場合によっては小水力や地熱バイナリーといった他の再エネ発電も考えられる。

ということで、この記事がセミリタイアやアーリーリタイアを検討中の方にとって何らかの参考になったとしたら、幸いである。

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