太陽光発電用地探しは無し

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結局、今回の九州滞在中に太陽光発電所向けの土地物件探しなどを行う時間を取ることは出来ず、明朝夜明け前に出発する始発の航空便で東京に戻り、仕事始めとなる。

折角、九州まで来たのに太陽光向け用地を探す時間も一切取れないのは残念だなぁという気持ちも個人的には少なくないが、元々今回の旅は予定していなかったものだ。

義弟との最後の別れが当初の目的だったし、突然の事故で息子を失った義母の悲しみや心労を思うと、家内の家族と過ごした一日も悪くは無かったというか、そうすべきだったと思うので、後悔はしていない。

九州での太陽光発電向け土地探しは、また改めてゆっくりとそのために来れば良いし、その方がじっくりと腰を据えて太陽光発電に最適な物件を見定めることができるだろう。

一方、今日、もう一人の義弟のクルマで移動中の車窓越しに、家内の実家の付近でも低圧連係のプチソーラーらしきソーラーパネルの列を思いがけず見かけた。

結婚して以来、家内の実家にはほとんど帰省してきたことが無いのだが、少なくとも一昨年の夏に固定価格での全量買取制度が施行される以前には恐らく野立ての低圧連係の太陽光発電所などこの付近では1ヶ所も無かっただろうと思う。

筆者が産業用太陽光発電に取り組んでいることは、妻にはある程度知らせているが、彼女の家族にはまだ何も伝えていないし、いつ伝えるかも分からないので、黙って通り過ごした。

本当は、妻にも公認で、というか協力してくれるぐらいだと助かるのだが、まだ孤軍奮闘モードである。

いずれ、岡山の一号基が稼働開始し売電収入が安定して銀行口座に振り込まれるようになれば、妻の認識も良い方向に変化してくれる可能性が出てくるが、それまでは筆者が一人でとにかく頑張るしかないと覚悟は決めている。

先に記したように、今回天国へと旅立った義弟の急逝は、筆者が太陽光発電に取り組むことが何だか筆者の定めであり、それを知らせるための出来事でもあったかのように感じたこともあるからだ。

明朝、東京に戻ったら、日本政策金融公庫での融資手続きのために、まず自宅近くの法務局に赴き当方の太陽光発電用地の登記簿謄本原本を抜かりなく取得しなければならない。

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